3人の子どもがいながら、、、
40代なのに。。。






これね、わたしがめーーーっちゃ言われる言葉。
3人の子どもがいるって、大変そうに感じるみたいだねーーー。
って、
大変でしたよっっっっっ!!!
そりゃー、髪も振り乱して、夢中で、ガッツで育ててきたと思います。
優雅に過ごしたなんてないよー
子ども達が小さな頃の自分の記憶すら、ないくらいだよー。
その頃の写真を見せると『別人?』と言われる(笑)
わたしには そんなに変わったように感じなくても
全然違うらしい。。。。。
でも
わたしにとっては当たり前のこと。
目の前に、わたしを求めて
わたしがいなきゃ生きてけない人間が3人いた、
そして
実家が近くもなく、頼る人もおらず、パパさんは仕事で忙しくて全く子育てに構わない。
この全てを『不幸』だと受け取るのは簡単。
だけど
目の前に、わたしを求めて
わたしがいなきゃ生きてけない人間が3人いるってね
考えようによっては
与えられてるの、自分の勇気の出し方を。
髪、振り乱してようが
お洒落ができないであろうが
自分の時間がなかろうが
目の前に、わたしを求めてる子が3人いるの。
自己犠牲ではなくてね、求める愛と与える愛の繋がりを感じた時
人生において
こんなに繋がる時期ってあるかなーーー?って思ったんだよね。
だから、この時期の子ども達との時間は濃密で
それが大変でもあり、嬉しくもあった。
今では、この時間はかけがえのない絆になってるとさえ思うよ。
だから、今がある。
めちゃくちゃ働いてるママンも素敵だと思うし
わたしみたく
思いっきし、子どもと関わった時間を過ごしたママンもいいと思う。
どんな人でもさ
今を存分に生きるって、一瞬一瞬にも後悔なく過ごす時間なんだと思うんだ。
それが良い、悪い
正しい、ダメだって
世の中的にジャッジされることはあっても
本人とその周りはガチで生きて、繋がってきただけのこと!
それが
自らの人生を彩り、自分なりの絆を深めてきたことだと思うんだ。
わたしはわたしで一生懸命で
子ども達もそう、
で、
きっとパパさんも一生懸命で
人って、それぞれに必死こいてて
かみあった部分や、反応し合った部分を重ね
これまた必死で判断してきただけかもね。
その積み重ねで、今がある。
だけだと思う。
3人の子どもがいながら、、、
40代なのに。。。
いろーーーーーんな意味を含んでいるだろうけども
わたしはその言葉をね
今は『ねぎらい』のように感じる。
ここにくるまでに
わたしなりの歴史が刻まれている!
それだけ、必死に生きてきた現実の先の『今』を
愛おしく想う。
そう思えてる自分に
ここまで関わってくれた人達に、感謝なんだな~。
さ、
60代って何を思ってルンだろうねーーーーーーー
重ねてきた年月を愛おしく、そして後悔のない積み重ねにしたいな。
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