自分に正直に生きると決めてから
今まで違和感程度だったことでも
心地よくないなと思ったら
選ばないこと、やめることにしている。
どれくらい真剣に自分と自分の人生に関わっているか、
最近はそこに自分の身を置いている。
だから、人の話をする人より
自分の話をしている人の方が過ごしやすい。
あの人がこうだ、誰々がどうだ、
こうした方がいい、責任がある、、、の話は
わたしの耳を通り抜けていく。
正しいこと、の主張も通り抜けていく。
意識していなくても、通り抜けていくから不思議。
そう思うと、子どもたちの話は
自分主体だな、と感じる。
どうしたいか、が明確で耳に残る。
なんだか聞いていて、生きる力が溢れていることがわかる。
自分にとって本当に大切なものは何なのか?
そこが明確だと、それはもう軸というか
信念になっていて、エネルギーをとても感じる。
意思とか意欲の力で出すエネルギーと全然違う。
何が違うのか?というと そこには調和が生まれ
自由なエネルギー、表現が飛び交って
それはメロディを奏でているようにすら思う。
自分(個性)を生きるとは
本来の自分に戻ることをゆるすことでもあるね。
昔、流行った冬ソナ(韓流ドラマ)で
主人公のユジン(チェジウ)が
↑名前がでてきたことに驚く!
どんな家に住みたいか?と聞かれ
『形としての家はどうでもよくて
好きな人の心が一番素敵な家だと思う』
みたいなセリフがあったのだけど
そのセリフを聞いた頃は、
うんうん、素敵!なんて思ったものだけど
なんだろう、今は
安心な場所は自分で創る♡と思える。
自分で安心だと創った場所が
好きな人の心となることがパートナーシップなんだと思うし、
その意味からのセリフだったのかもしれないな、と今更ながらに思った。
ありゃ、話がかなりずれたような。
自分の安心な場所を創るには
愛からの選択が必要で
今までと違う自分をゆるしていくことでもあるな、と思う。
ということで
周りにいる人が、どんどん変わっている最近なのである。
調和とはその場、その人に合わせることではない。
嘘がつけないことだと思う。