昨日聞いて、なんとなく心に残った言葉。
『相手が自分のことを好きだったら、自分も相手に好意を表す』
なんで心に残ったかというと
どうして主語が『自分』じゃないんだろう?と感じたから。
でも
よぉぉぉく考えてみると
この言葉の主語は『自分』なんだね、、、
『わたしは相手が好きだから
相手も自分のことを好きでいてほしい。
でも、そうじゃなければ一方的な想いは迷惑かもしれない。
だから
相手が自分のことを好きだったら、自分も相手に好意を表す』
なんとなくわかる気がした。
けど
やっぱわかんない・笑
昨日引いた『恋みくじ』
わたしは、素敵だなと思う夫婦が何組かいます。
そして、そんな夫婦の馴れ初めを聞くと
相手に告白をした時、相手はどうか?ではなく
自分の想いが溢れてしまった!と話します。
溢れる想いが、もし見えるとするなら、
「純」というか、濁りなく、真っ直ぐのような気がします。
だから真っ直ぐにハートに届くように思います。
届いて、その想いを受けとってみて
どう感じるのかは、相手の領域なので コントロールはできないけども
ハートにはしっかりと届いているよね。
相手が自分のことを好きだったら、自分も相手に好意を表すというのは
相手の耳には入り、頭では理解されたとしても
ハートには届かないような気がするのです。
ハートまで行き着くまでのパワーがないというか、、、
わたし、去年想いを打ち明けられることがありました。
でも、わたしのハートには まだどっしりと想いが残ってあったので
その想いを受けとることはなかったけども
溢れる想いは、ハートには届きました。
溢れる想いって、ドシンとくるものだなぁと感じたものです。
条件だとか、立場、不安、、、そんなことを考えながらの想いは
そりゃあパワーが足りなくて、ハートには届かないよなぁと
ドシンの重みを改めて感じました。
「純」というか、濁りなく、真っ直ぐ。
この「純」なシャワーは、相手に届くかどうかが大切なのではなく
このシャワーを出し続けられる自分で在れるかどうか?
ここがその人たる魅力なんだろうと思ったのです。
たとえ、溢れる想いを 相手に受けとってはもらえなかったとしても
その魅力で生きていれば、その魅力に合う人が現れる。
それが運命だろうなって。
だとするなら、溢れる想いに素直になることが
自分の運命を切り開くことだろうと思うのです。
相手がどうするか、ではなく。
そしてこれは恋愛の話だけでもなく。
わたしが素敵だなと思う夫婦は
お互いの想いがハートに届き合う関係。
それは運命共同体だね。
そこに向かいたいと、人は願いながら
でもそこに行ってしまうのは、怖いのかもしれない。
まだ見ぬ世界だから。
そして
運命が変わるから。
知らないというだけの世界だから怖く感じるのだろうな。
でも、その世界に行く!とわたしは昨日思っちゃった!
だから
相手が自分のことを好きだったら、自分も相手に好意を表すことは
やっぱわかんないのだ。
それでいいのだ。
そんな昨日の恭子ねーさん。女王だわー♡