彼と付き合いはじめてから周りにいちばん言われたことは
「悲しみを抱えた彼が幸せになって嬉しい」みたいなことだった。
それは彼が奥さまを亡くしたことを知っている人が多いからだと思うし、
彼を思う言葉からだとも思う。
でも本当に相手を想うって
そういうことなんだろうか?
私は彼という人が
事実に向き合い続け、味わい切り、自分の足で歩いて
前に進み続けたことを
そこをただただ想うと
胸の奥がぎゅうっとなるほどに
自分に起こったいろんな出来事が同時に思い起こされて
彼がどのように過ごしてきたのかは想像はできても、
同じ気持ちを感じることはできないし、
でも
自分に起こり、感じ、歩いてきた道は 十分に思い起こせるから
ここまで歩いてきた彼のすべても
人として、よりリスペクトしたし、
その事実から感じてきたものが意志となり
その意志が
今度は、目の前の私に
自分を見つめさせる機会となったこともありがたく思った。
そういった意志の疎通が【相手を想う】ということじゃないだろうか。
もし彼が、
自分に起こった事実で人に慰め、同情して欲しいと
いちばん思っていたとするなら
わたしはそれを感じて
同情はしないし、できないし、
同じ気持ちには決してなれないから
自分の想いから言葉をかけることしかできなかっただろう。
その場合、
「悲しみを抱えた彼」として彼を見たかもしれない。
でも、彼は今を生きているから
「悲しみを抱えた彼」という見方で彼を固定するのではなく、
「今、どう生きているか」に私はフォーカスしていた。
彼と付き合いはじめたことを
『わー!おめでとう!すごく嬉しい!!!』と
自分のことのように喜んでくれた人は 多くはなかった。
それをイヤだと言いたいのではなく
どう想うかは、その方の思考であり、意志。
同情しているのなら
人とは【情け】でつながっているのかもしれない。
私は今も昔も
人間の意志から成る【可能性】に興味津々であり
関わる人には「本当に相手を想うとは?」を常に自分に問い続けている。
目の前の彼は
悲しみがベースではなく
実は、ものすごくユニークでクリエイティブで
どんどん進みたがる・・・w
どちらかと言うと 今にいるより未来でニヤニヤするタイプなのです。