親に心配され続けてきたわたしは
『自分はしっかりしていない、しっかりせねばならない』
と思ってました。
そこから抜けられたのは
田舎育ちもあって
幼少時は超オテンバで
(想像を絶すると思う。マンガにしたらいいのにと言われる程)
親の目を盗んでは、好きなことばかりした体験があり
その体験から得たことが大きかったからだと思う。
数々の失敗や痛い想いもしたけれど
なんとかやってきていたしね。
自分の体験は、挑戦でもチャンスでもあり
自分でしか得ることのない宝。
最終的に自らを支える強さを与えてくれているとも思う。
親の目を盗んで遊ぶから、心配されるんだけど
心配は押しつけだと何度思ったか(笑)おかーさん、また同じことばっか言ってるー、
そりゃー、やったことないから この楽しさはわかんないかー
と、客観的な視点で聞いてました。
この視点も様々な体験と遊びから学んだと思ってます。
今、子ども達に ついつい心配の目や言葉を向けるとおかーさん、また同じことばっか言うーと言われます。
とほほ。親の立場になるとやってしまってるー。
立場ってなんなんでしょーねぇ
いろんなママ友や母達に
『お宅のお子さん、大丈夫?見てる?知ってる?
言うこと、全然聞いてないよ』
なーんて言われることもありますが
幼稚園時代はあれほど『自由に好きなことをしてる子達』を
いいねー!と言っていたのになぁと感じたりもします。
生まれた時は、何ができる子とか そんなことを考えず
ただただ生まれきてくれたことを嬉しく思ったんじゃないかとも。
わたしは、いろんな体験をしたらいいと思う。
ダメ出しと心配はしたくない。



自分の体験は、挑戦でもチャンスでもあり
自分でしか得ることのない宝。
最終的に自らを支える強さを与えてくれているとも思うから。
子達の体験を感じることが、親としての喜びでありたいなー
こちらのブログ記事を読んで、そんなことを思った朝でした。
http://ameblo.jp/hrc-happyherb/entry-11863652950.html