わたしは心配されることは好きではない。
心地悪い。
心配とは思いわずらうこと。
経験の多い人が、
自分の経験から
未来への不安を覚えて
自分の気持ちを相手に渡そうとすることではないかと思う。
そこに信じる気持ちはない。
それが伝わる。
今のそのままの相手を見てはおらず
自分の心の中の不安にフォーカスしている。
それは自分を見ていること。
あなたを思ってあげている、という言い方に変えて。
こんなに心配してるのに、、、
あなたのためを思って、、、
と言うなら
信じてみてください。
自分のために自分に愛を注いでください。
とわたしは伝える。
わたしは人から見て、信じるに値する存在ではないかもしれないけれど
自分に恥じて生きてはいない。
だから心配されることはない。
わたしは今ここに生きていて、
見えない未来にいる人間ではない。
前に、ある友達がわたしに伝えた。
「ブログの写真が元気がないように見えるから心配。と〇〇ちゃんが言ってたよー」と。
本当に気になるのなら
わたしは直接会うか、直接伝える。
心配するのではなく、気にかけて相手にできることを考え、伝える。
いろんな人に言うなら本人に伝える。
心配とは
自分の未来への不安を相手に渡し、相手をも不安にさせて
動きをとめたいという気持ちからじゃないかと思う。
無意識かもしれないけれど。
昨日「心配してた」という言葉をかけられて
やはり心地良くはないなと思った。
嬉しくないし、勇気も元気も出ない言葉だなーと。
思ってくれていたところを見るようにしているけれど。
心配する前に
できること、力になれることがあるとわたしは思うし
そうありたい。
過去のわたしでも、未来のわたしでもなく
今のわたしをわたしは感じてほしいなと思う。
だからわたしも
過去でも未来でもなく
今の相手と関わり合う。