昨晩の熊本の地震で
被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。
地震の一報をスマホで見たとき、2011年の震災を思い出し、
そのあと、母が倒れたときの朝のことを思い出した。
当たり前にあったこと、
当たり前にいた人がいなくなる。
頭ではわかっていても
わたしのハートは なかなか追いつかず
七回忌の終わった一昨年あたりからかなぁ
やっと自分の中で一区切りついた気がしている。
そして、七回忌の年 住んでいた実家も処分したんだよね。
現実の出来事とわたしの本当の部分(ハート)は同じだな、、、なんて思ったものだった。
建物もあっという間になくなるんだな、、、って思った。
モノや家に執着しなくなったのも、この頃からだな。
魔法の質問に
「ご縁のもとは誰ですか?」という質問がある。
いろんなことを辿っていくと
どうやらその人から始まっているというキーマンがいて
わたしはどこを辿っても、母に行き着く。
心理の道に入ったのも、母が亡くなったことがキッカケ。
もともと自分を見つめることはやっていて
小さな頃はタロットカードにハマっていたこともあったし、
心理学は昔も学んだけれど、
実際に自分のハートが欠けてしまったような、
身体の不調がずっと治まらなかったのは初めてで
どっぷりと向き合うことにして、
心理学校に行き、セミナーにも行きまくるようになった。
気になるセミナーにはどんどん行った。
そのお金は、すべて母が遺してくれたお金だったんだよね。
だから、家計から出したお金は一円もない。
今あるご縁は
母が創ってくれたようなものと思っている。
もちろんわたしも育んだけれど。
写真は5年前の魔法の質問認定講師養成講座に参加したとき。
(なぜだかこの写真を見て子ども達は笑う、、、、なして?)
この頃の山形は、震災の余震でたまに揺れていた。
母とは一緒にどこかに行ったり、話したり、触れ合ったり、分かちあったりすることは
実際にはできないけれど
今は、いつでも見守ってくれているなーと感じる。
見守られてるな、と感じるようになってから
どーーーーしても迷ったり、決断が鈍るときには
父や母を呼んで話しかけるようにしている。
あ、わたしは見えないセカイが見える人でも
誰かの声が聞こえるわけでも
怪しい者でもない・笑
ただ、声として吐くようになって
本当の自分の声を自分で聴くことが
答えになるようになった。
直感はその状態と同じような感覚のときに働く気がしてる。
正直で
本質的な
自分。
わたしがその自分に出逢うためには
これまでの経験が必要だったのかもしれないな、と今は思う。
当たり前にあったこと、
当たり前にいた人がいなくなる。
これは生きてる限りしかたのないことだけれど
後悔ないようには生きたい。
不器用でも
惨めでも
かっこ悪くても
情けなくても
時間がない
自信がない
お金がない
常識的じゃない
家族がいる
子どもがいる
多くの人が言う
大人だから
やらねばならない
で後悔を生み出すのは
わたしはもういやなのだ。
これも突然亡くなった両親が
最後に教えてくれたこと。