このところ思うんだぁ。。。
子どもに愛情が足りないのではないか、
親としてなにかしてあげなければ、
もっと自由にさせてあげたい、
と話される方がとても多くて。
愛情は足りる、足りないの問題かなぁぁぁ
愛情はそこにあって、それをどう与えるか、受けとるか じゃないかなぁ
与え方も自分が出るし
親自身が 愛を与えられたと感じていなければ
子どもに与えることって難しく感じてしまうんじゃないかなー。
足りないのではないか?と自分を責めてしまう親を見たら
子どもは悲しいかもしれないよね、、、
親として、、、とあまりにも思ってやってしまうと
子どもは『子どもとして』という役割をやることになる。
子どもって ちゃんと見てるんだよねー。賢いし、順応してくれる。
わたしが『親』をふりかざすと、彼等は『子ども』として小さくなろうとしてくれる。
わたしが『わたし』であれば、子どもも『自分』でいてくれる。
年を重ねると、親が小さく見えたりするじゃない?
『親』が親を力んでやらなくなると、こちらも『年相応』になるんだよねー
わたしの場合、母が心配性だったから『しっかりした子』でいようとし続けたけど
母が亡くなる前、意識がない時 わたしは『ただの子ども』に戻った。
「もっと甘えたかった・・・」と思わず言ったからねぇ
親として頑張りすぎると、お互いにきつくなるねー。(それも愛情だろうけどね)
自由は、させてあげるのでは、自由じゃないよね!
親のいないところで
いろんなことをやってたりしたことが『自由』でもあったよね?
わたしがやったバレていない数々のイタズラを思い出してみても
とても親の前じゃできない・笑(←なにやってんねん)
本当は
【わたしが】親からの愛情が欲しかった、
【わたしが】親から構ってほしかった、
【わたしが】もっと自由にしたい、
かもしれないねー。
それ、みーんな思うことだよぉぉぉ。
誰しも、自分の思う愛が欲しい。
自分の思う欲しい愛がどんなものなのか、知るといいよね。。。
そこが基準になって、人と接していることよくあるよー。
わたしも3人の親だけども
愛情を彼等の欲しい愛の形として与えられているかどうかは分からない。
どう受けとるかは 彼等だから。
それでも愛はそこにある。←自分の気持ちだけは分かる!!!
それしかできないし、『そうじゃないーーー!』と示されたら
じゃ、これかい?と関わり方を変えたりする。
諦めはしない。
たとえ、ドロドロなケンカになったとしても、怒ってぷいっとしても関わり続ける。
そうやって育み続けたらいいかーと思ってる。
わたしの愛はそこにある、から。
関わり続けたい間は、どんな状況でも伝え続けるし、諦めない(しつこいよー)
それしかできないんですわ、、、わたしはね。
昨日も宿題が多いって泣いとりましたわ、、、娘はん。
この娘はんのころころ変わる気分に、いろんな形で関わってます♪
ぴしゃり!と言うことも もちろんある。
ただ『お母さんは 絶対に関わってくれる』って思ってると思う。
それでええんですわー
考えすぎたら力む。
大人も子どもも 気持ちは同じ。
ただ大人の方が考えるから、ちょっとめんどくさい(笑)
と、長男が言っていた。
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