わたしだから受けとれること。
それは誰しもある。
自分の世界は、
自分のハート
と
現実
から
できている。
自分のハート、もしくは頭の中は理解できても
『現実』を見ないと世界は違ったものとなる。
言い方を変えると
現実の中に、自分が受けとっているものを知ることができないと
幸せを感じることは難しくなる。
つまり、
受けとっていないということは
現実は自分に厳しいという思い込みで
自分の世界ができあがることになる。
よくあるのは
わたしは愛されないという思い込み。
本当に誰にも愛されていないだろうか?
世の中にひとりもいないだろうか?
違うよね。
わたしは今、幸せを毎日感じている。
パートナーはいないけども
それだけが幸せじゃない!ひとりが気楽でいいの!とも思わない。
いい人なんてなかなかいないとも思わない。←これは既に自分を諦めている。
素敵な人はたくさんいてる。
わたしは
パートナーがいたらいいな♡とは思っているけど
行動していないからいないよね!と自分でわかっている。
(いたらいいな、程度なのよ。だから結果これになる)
そして『こんな人がいいな♡』と思うなら
そんな人がいそうな所にいけばいいし、そんな人がやっていることをやればいいと思う。
じゃなきゃ、出逢わないよね。
自分のハートの扉を開けているかどうか?
なんだよねぇ
わたしだから受けとれること。
これを知っていたら、自分を尊い人だと思えるし(無意識レベルでも)
その自分だから、どんな人と出会わせてあげようかな?と思える。
これは人との関係性において
自分へのぞんざいな対応と思えることに対しては
正直に伝えることもできるし、
そのエネルギーを必要とせずに離れることもできる。
我慢という言葉が美徳になるとするなら
それはその先に自分にとって心地よく感じること、
成果を得ることができるときだと わたしは思う。
それ以外の我慢は必要ないとも。
自分のための選択を
自己責任でできるようになれるし、
すべてを自分のこととして受けとめることもできるようになる。
与えることは容易い。
でも自分のグラスを満たして、溢れたものを与えるには
まずは 自分のハート(グラス)で愛(シャンパン)を受けとめないとね。
日常の中で、受けとっていることを見出すチカラ。
これが『現実』を見るということで
自分の世界を創る大切な要素だと思う。
その世界観があるから
自由と愛をもって自分の可能性を広げられるんじゃないかと思うんだな。
りんごろも(必死で)取り組み中なりん♪
わたしだから受けとれること。
これを知ってもらうことを、毎月個人コンサルでもやっていきます↓
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