そこに〇〇があって 認めないから 追い立てられる

魅力を発掘していても
恋愛相談にのっていても思う。

そこに〇〇があって
認めないから追い立てられる。

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そして無意識に
追い立てられていることが活力になるから、
やる気がでるから
その状況を選んでいる。

それは自然ではなく、力み。

わたし自身がやってきたから すごく気持ちはわかる。
けど
気づかないままだと 望むセカイはやってはこない。

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魅力を発掘すれば、
同じようにそこに弱みも存在する。

弱みは決して悪いことでも、ダメなことでもなんでもない。
赤ちゃんを見たらわかる。

泣いて悲しむことも、いやだと訴えることも
それすら魅力じゃないだろうか。

 

どちらの側面もある。
けども、自分の良いと思う方(魅力)しか認めないから
認めたくない、望んでないこと(弱み)が動き始める。

そして
逃げるため、避けるために魅力を発揮しまくる。
めちゃくちゃ活用する、躍起になる。

それは周りにも認められる。
魅力だから。
結果、尚更そこから抜け出しにくくなる。

 

例えば、
ある人は『価値観が同じだから好き』と言って
不倫だろうが、人妻だろうが、積極的に行動したとする。
『価値観』だから、相手も喜ぶ。
(つまり まーまーうまくいく)

人の価値をいち早く見つけて
それを相手に伝え、形にするチカラをもっている。


同時に
積極的にガンガンとこられるのは苦手。
踏み込まれるのがイヤ、距離感を保ちたいなどと言う=嫌われることが恐いから(弱み)

嫌われることが恐いから、無意識にうまくいかなくても大丈夫な不倫を選んだり、
価値観を分かり合う関係を築きたいと言いながら、築ける相手を望まなかったり、
相手を責めて自分から壊したり、距離感を保とうとして築こうとしなかったりする。
なんてことが起こる場合もある。

これは例であって、悪いと言っているのではなく、
どちらも両方の側面があるというだけのこと。
その上で
『自分が本当に望んでいるのはどちらだろう?』と意識して、
自分が選びたい方を選んでいくことが、わたしは大切だと思う。

追いかけたいけど、追いかけられると途端に冷める、
なんていう人も同じじゃないかなー、とわたしは思っている。

そして選びたい方を選ぶとき
嫌われたくないという恐れを味わうことも起こる。
その傷みを味わうことも必要になる。

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積極的で、愛情を深くもっているからこそ
自分を見てほしい、かまってほしい、という気持ちも
愛情と同じほど深いことを知るといいと思う。

 

弱みは見せたくない=強くあらねばと強く意識すればするほど
弱みにフォーカスしていることとなる。

魅力も才能も使いまくっているのに
実際は弱みにエネルギーを奪われている=恐れの選択

恐れの選択をしていると、義務や責任を重んじる行動となる。
ねばならない、
あの人が言うから、、、大人数が、、、
世の中が、
常識的に、
食べていくために、、、

恐れはあるし、あっていい。
恐れを自覚して選んでいたら、恐れに振り回されるだけにはならない。

だから「どうしていきたい」という気持ちももてるし、行動ができる。
自分は自分だと思える。

 

そこに〇〇があって
認めないから追い立てられる。

この〇〇は『自信』

 

本当は自信があるのだけど、
認めたら目立つし、打たれるから認めない。

それを人は「謙虚」だとか「謙遜」という言葉で濁すこともある。
周りから「謙虚」だ大事だとか、「謙遜したほうがいい」と言われることもある。

その「謙虚」や「謙遜」は自分の自信をとめるためではないだろうか?

と一度自分に聴いてみてもほしい。

 

自信(魅力)をとめることは

自分だからこそ持ちあわせたもの、
ここに生まれきたからあるもの、
先祖から授かったもの、


誰にも奉仕しないと言っていることにもなるから。

 

自分がひた隠しにしている自信(魅力)は、実は周りには漏れているw
エネルギーはダダ漏れである!

そして
あるのにないことにしてるあなた自身に
呆れられていたり、腹を立てられていることに本人のみ気づかなくなる。

それを嫌な目に合った、や
同じことは避けたい、と勘違いし、傷だと思い込み始める=魅力をないものにしていく

嫌な目にあったかもしれない=それは怒り悲しみとなる
また同じことが起こることは避けたい=それは不安となる

怒り悲しみ不安を原動力にするとき
確かにすごいパワーは出る。それもフルパワー。

けども
それはある『自信』をないことにする気持ちから出た行動だから 一時的なもの。
いつまで経っても 自らのチカラや魅力で生きることは難しい。

怒り悲しみ不安を原動力にすると、表面上はうまくはいく。

毎回、怒り悲しみ不安を自分に感じさせなくてはならず、
そのために、そう感じさせてくれる人を探し続けては反応する人生となる。

だから人を信頼できない。
本人はフルパワーであったり、腑抜けになったりの繰り返し。

そこにも気づきたくない場合、止まることができずいつも忙しい。
外から見たらますますうまくいってる感じには見える。

が、疲弊感と無価値観は半端ない。

人を信頼できず、疲弊感と無価値観を秘めていると
そのエネルギーは人を遠ざけていく。
そして自分はますます傷つく。

 

自分の価値に気づき、認めること。
それが自信であって、自己信頼。

 

力みを自然な姿に変える一歩は そこだと思う。

そうしたら、自分の価値をいいな♡と思う人たちが自然に集まる。

そんな人たちが身近にいたら
怒りや悲しみ、不安をわざわざ原動力にする必要もなくなっていく。

 

怒りや悲しみ、不安は
人がもたらしているようだけど、本当は違うと思う。

自分の魅力(自信)に気づけないこと=人生の喜びを感じることが難しくなる。
自分に喜びを感じさせないことこそ、
生まれきた命からすれば「怒り」や「悲しみ」「不安」となるのではないかな。

それは自分自身が自分に向けた、怒りや悲しみや不安。
自分の中からわくものは、自分が創ったものである。

そこに気づけたとき
原動力をくれた人たちをゆるすことも、自分をゆるすこともでき
そのゆるみが力みを開放してくれ、感謝を感じることもできるようになる。

人に嫌われたら恐いという気持ちより
人と分かち合うことの喜びにフォーカスもできる。

その喜びからの選択が自信にもつながり
自分のいろんな魅力や可能性に気づかせてくれる一歩にもなる。

自分のハートの奥の扉まで開けて、人と分かち合うことができるようにもなる。

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本質的なことはシンプル。
自分の価値に気づくだけ♡

それが難しいなら、
自分の価値を教えてくれる人の言葉を だたただ素直に受けいれる。
頭で理解しようとせずに、委ねる。

それだけでいいのだとわたしは思う。

 

 

どちらにも気づいていきたいなと思う方はこちらもどうぞご活用ください
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りんごろ

読んでくれてありがとう。

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